[映画評]フューリー
傑作怪作インターステラーに続きまして今回はブラッドピット主演の戦争映画「フューリー」。
劇場での戦争映画鑑賞は硫黄島からの手紙以来なので、結構久しぶりの戦争映画。
その間に、家でプラトーンやらパールハーバーは見ていましたが・・・・パールハーバーは酷かったです。あれを自分が劇場でお金払って見てたとすると・・・ゾッとしますね色んな意味で(笑)
っとまぁ話は逸れましたが行ってみましょう。映画評「フューリー」
【フューリー(原題:Fury)/ 2014/ 米/ カラー/ 135分/ 監督:David Ayer】
1945年4月終戦間近のドイツ。ドイツヘ侵攻する連合軍の米兵ウォーダディー(ブラッドピット)らは、自ら「フューリー」と命名したシャーマンM4中戦車に乗り、戦いを続けていた。ウォーダディーと3人の仲間に補充の新兵としてノーマン(ローガンラーマン)も加わり、5人となった部隊は絆を深めていくが、やがて行く先々に隠れ潜むドイツ軍の奇襲を切り抜け進軍する“フューリー”の乗員たちは世界最強の独ティーガー戦車との死闘、さらには独SS大連隊300人をたった5人で迎え撃つという絶望的なミッションに身を投じていくことになる・・・。
初めに
初めに報道や記事では結構話題になっている、制作陣・役者陣がこの映画の撮影に臨む熱量の高さから紹介しましょう。
まずは何と言っても第二の主人公と言ってもいい戦車。
これまでの戦争映画に出てきた戦車達、例えば大作プライベートライアンでさえ、当時の戦車は使わずに現在の戦車に装飾や改造をして撮影していました。しかし監督は圧倒的なリアル感を大事にしていたので、博物館に展示してあった世界に6台しか残っていない当時のシャーマン戦車(ブラピらが乗る戦車Fury)とティーガー戦車(独最強の戦車)を実際に使って撮影しました。
この時点でミリタリーオタクや5,60代のお父さんたちは大盛り上がり間違いなしですw
またフューリーのような戦車は一人では操縦できず、5人それぞれが連携し、役目を果たして初めて敵軍と戦うことができます。なので乗組員は家族のような絆が必要になります。その長年の共同生活で作り上げられた絆や家族感を出すために、戦車に乗り込む主演のブラッドピットら5人は、撮影前からフューリーと共に野営生活をし、当時と同じ食事や演習をさせ、終いにはほぼ毎日殴り合いをしていたそうです。それによって自分たちを戦場の殺すか殺されるかというような精神状態に追い込み、疲労感や緊迫感、服や体の汚れを再現していきました。
その中でシャイア・ラブーフは「戦場に傷跡がない兵士なんていない」ということで自分の顔に実際にナイフで傷をつけ、前歯も抜いてしまいまったことも話題になりました。
っというように撮影に臨む熱量もだいぶ高い作品です。
戦車映画としては最高峰
戦車の戦闘方法は簡単に言ってしまえば、歩兵の盾となり、敵陣を切り開き、その火力で相手の力を一気に削ぎ落とす、RPGやモンハンで言えば大剣のようなもの。
ガガガガとキャタピラで動く鈍重な戦車同士の戦闘なんて地味なんじゃないか??歩兵の俊敏さでササっとやってしまえるんじゃないかと思いがちですが、実際は違います。
威力重視の対戦車弾や機関銃、跳弾。戦車線での作戦とその展開。一つ一つ見ていけば難しいことですが、この映画ではその全てのディティールにこだわり、尚且つ直感的にそれを見るだけで理解できるように演出されています。5人が一つになりあの化け物戦車と戦うシーンは本当に白熱します。戦車対戦車の戦いがこんなに凄いのかと思う事でしょう。
僕自身FPSもサバゲーもやらない全くの素人ですが、何故その武器で、何故その作戦で、何故そう戦うのかなど、大体のことは理解できたように思えます。序盤の侵攻、中盤の最強のティーガー戦車との戦闘からの市街戦など映画全体を通して興奮と恐怖を与える戦闘の連続です。
主人公はブラピ・・・・ではない
主人公を誰とするならブラピ演じるウォーダディー・・・ではなく、序盤で配属されてくるノーマンでしょう。
彼は戦地などに配属されたことなんてなく、タイプライターの研修だけさせられた、熱心なカトリック教徒の童貞の青年。
その「無垢」と言っても良いノーマンが初めて人を殺すところから物語が動きだし、戦争の異常さに染まる(一人前の兵士になる)所がこの映画の大筋とも言えます。しかしその戦争に染まるという異常さを納得させる導き役として、圧倒的なカリスマ性を持つブラピ演じるウォーダディーがいます。ブラピの演技がハリウッドの大スターというカリスマも相まって観客に映画の流れを納得させるのです。
映画の登場人物だけでなく観客でさえも「もし戦争になるようなことがあるならウォーダディーのようなリーダーのもとで戦いたい」と思ってしまうのではないでしょうか。その土台の上にノーマンが主人公として乗っているので、観客も含め序盤から戦争という異常さの中にノーマンの「無垢さ」が入り込んでも突き放さずに見られるのです。
ストーリー展開は◎。でも・・・
話の展開の仕方は秀逸です。起承転結がはっきりわかりますし、戦争的教育のシーンから心休まるシーンまで、見ている途中ではわからなくても、それぞれに伏線があり、それもわかり易く回収してくれます。
この映画を見て「あれってどういうこと?」ってことにはあまりならないでしょう。
見た後もウォーダディーやノーマンは作戦遂行の任をよくやったと思うでしょうが、本当にそれは「良くやった」ことなのかと疑問を呈す作りにもなっています。
多分あまり戦争映画を見たことがない人には大方満足な出来になっているでしょう。
しかし如何せん、プライベートライアンの影響を受けすぎている気もします。
舞台設定が戦争終結直前の対ナチスの話なのである程度似ているのは仕方がないですが、フューリーは主な話の流れまでほぼ一緒と言ってもいいくらいです。
その上、キャラクター設定も祈りながら狙撃するスナイパーは聖書の言葉をよく言うバイブル、ブラピが演じるウォーダディーとトムハンクス演じるミラー大尉の意外性の共通点などなど通じる所が多々あり、見ている途中でも至る所でプライベートライアンが頭をよぎってしまいます。プライベートライアンを見たことある人なら、「比べて見るな」と言われても無理な程にです。
プライベートライアンが戦争映画の金字塔とよく言われている中、そこに似せて(影響を受けて)作るならあえて中途半端なヒューマニズムは捨てて差別化を図ってほしかったという部分はあります。
ここまで戦場やそこを取り巻く環境をリアルに描写することにこだわったのならそこに徹することもできたはずですし、実際中盤まではリアルに描写してきたからこそ、最期の結末が物凄く浮いて見えてしまいます。
うがった見方をすれば「ちょっと爪の甘いプライベートライアン」に見えてしまうのがこの映画の残念な所。
総評
最近出た戦争映画ではピカイチでしょう。
自分よりも若い世代が今戦争映画を見るのならこの映画でも良いのではないでしょうか。
しかし「戦車映画」ではなく「戦争映画」を見たいというのならこの映画ではないと思います。
また戦争映画というのは時代によって如実に描く物が変わっていきます。昔なら他国の兵は鬼畜で自国の軍隊は果敢に良く戦ったとただ称賛する様を描き、ちょっと前なら戦争の中の正義とヒューマニズムを描きました。最近は戦争には正義も糞もなく無情に起こるものということがよく描かれています。しかしここにきて称賛ばかりしてはダメ、美化してもダメ、一騎当千過ぎてもダメ、血も涙もないのもダメと、戦争映画が何を描くべきなのかというのが難しくなってきているようにも思います。
フューリーは前述のように戦争映画としては一歩足りなかったようにも思いますが、この問題には果敢に挑んだ作品とも言えます。なので今この時代の戦争映画として何を描いたかということをチェックした人がいれば是非見てください。その答えはあるでしょう。
ということでフューリー68点。