【映画評】進撃の巨人(前後編)
バケモノの子以来、また2ヶ月も空いてしまいました。
映画は見てるんですけど、映画評書くとなると時間も体力も使うので、書く前に覚悟を決めないといけなくて、お尻が重くなる・・・。もともと物理的な意味でもお尻は重いんですけど(笑)
本当は映画評だけじゃなくて他のことも書いて、コンスタンスに出していきたいんです!いきたいんですけど、なんとなく「今日これやった、楽しかった」的な日記みたいなことは書きたくなくて・・・。
かといって、そんな楽しいこと書いて行けるほど、人生楽しんでないので、映画評でも書くしかないんですけど、映画評はしんどくて、体力も使うんで、普通のことも書いてコンスタンスに出していきたいんですけど、なんtお`*>?=|?*}=~)”’&# わちゃちゃちゃちゃ!!!!!
もう「お前のブログなんやから好きにしろ!!」って感じですよね。
ってことで今日も変わらず映画評!!!!!行くぞ!!!!逝くぞ!!!!イクぞっ!!!!進撃の巨人!!!!!!!!前後編まとめて、どうぞぉおお!!!!!(笑)
【進撃の巨人ATTACK ON TITAN(前編)/ 2015/ 邦/ カラー/ 98分/ 監督:樋口真嗣】
【進撃の巨人 ATTACK ON TITANエンドオブザワールド(後編)/ 2015/ 邦/ カラー/ 87分/ 監督:樋口真嗣】
100年以上前、人間を捕食する巨人が現れ、生き残った者たちは巨人の侵攻を阻止すべく巨大な壁を3重に作り上げ、壁の内側で暮らしていた。エレン(三浦春馬)やミカサ(水原希子)もそんな中の一人だった。そんなある日、100年壊されなかった壁が巨人によって破壊されてしまい、突如現れた超大型巨人に多くの人間が捕食されてしまう。生き残ったエレン等は、外壁修復作戦を決行する・・・。
邦画への、そして世界への下剋上
かつてゴジラなどの「特撮」で世界を驚かせた邦画の輝きも今は昔。
今や超大作はハリウッドが作り、邦画の規模はどんどん縮小していきました(市場がアニメにシフトしたということもあります)。
これによって、最近の日本では製作費をバンバン使うブロックバスター的な実写超大作は作ってこれませんでした。作ろうとしても「超大作はハリウッドが作るから、日本はやめとけ」 というような風潮すらあるように感じます。
それ故に邦画と言えば、ラブストーリー、サスペンス、ホラー、日常系など、普段の生活の中で起きる出来事を扱う作品が多い中、あえて今、多額の製作費をかけ、壮大なスケールの物語である進撃の巨人の実写化。しかも日本で!
この映画は凝り固まりつつある邦画の常識、縛り、限界に挑戦すると共に、世界に「日本のブロックバスター映画はここまで来た!」とぶちかます意味も込められた映画だということをまず言っておきます。そう、映画の出来に関わらずね。
頑張っている!眩しいほどに!!
では具体的に良い点を見ていきましょう。
まず最初に世界観。
原作の中世ヨーロッパ風の世界から、軍艦島のような廃墟に世界を変え、公開前にファンから危ぶまれていましたが、見ていて「セットがショボイ」だの「これじゃない」というのは全く感じません。
セットがショボくて興ざめなんてこと、邦画ではちょくちょくあることですが、この進撃の巨人はここまで異世界を作り上げているのにも関わらず、それを感じさせません。邦画史上でも一番手の込んだ世界が見られます。
次に進撃の巨人という作品において、巨人と立体起動装置はその代名詞にも成りえる代表的なモノ。
巨人描写に関しては、原作にある勧善懲悪など関係ない無機質とも言える不気味さとは少し気色が違いますが、劇場版の巨人はまた違う不気味さがちゃんと表現できています。
巨人が現れた時の絶望感が出せているだけでも合格です。
人間を食い散らかすスプラッター具合も、血は大量に出るわ腕足首は千切れるわというのはあるものの、これ以上はちょっと・・・・という所は超えないギリギリのラインで抑えられていると思います。
そして巨人もそうですが立体起動装置を語る上で、映画を見た人なら誰もが感じたでしょう.
・・・・・「CGがショボい」とw特に立体起動は(しょぼく見える原因は後述)。
しかし巨人描写は迫力があります。後編のラスト30分はよくぞここまで!!と感心するほどです。
ただ、言っておきたいのは「CGは映像表現の一つであって目的ではない」ということです。
昨今のハリウッドの超大作で目が肥えた観客には正直物足りないでしょう。しかし拙いCGでも、観客は劇中ずっと見ていれば自然とそのレベルに合わせて見るものなので、今作に関わらず、映画を見る上でCGというのはそこまで重要なモノでもないのです。使う以上良いに越したことはありませんが。
あえてCGのことを言うなら、むしろハリウッド的で派手なCG路線ではなく、日本のお家芸でもある特撮とCGを混ぜたVFXで作品を作り上げたということで、単にハリウッドの後追いをやるのではなく、日本のブロックバスター映画としての正当進化を示すことができていて、それらと差別化できていると感じます。さっきも言いましたが超大型巨人も迫力満点でいい味出しています。
そして映画として一番重要なストーリーの改変と結末。
キャラの性格が変わっていたり、新キャラが出てくる、世界の設定が変わっているのは全然良いことです。
映画は映画。漫画とは違い、短時間で沸点まで持って行かないといけないことからも改変しないといけませんし、それは正しい方向で改変されていたと思います。
結末も、原作漫画ではまだ「敵が誰なのか?」「巨人とは何なのか?」ということすらわからない状況の中で、上手くまとめてあります。
結論から言うと、映画版では「原作漫画に散りばめられたヒント」と、「原作者の協力」を元に考えられた「映画版独自の世界の仕組み」を結末に持ってきています。なので映画内での伏線はちゃんと後半で回収していますし、映画自体も前後編でちゃんと完結しています。
・・・ここまで読んでみると傑作とまでは言わずとも、そこまで悪い物でもないんじゃないか?って思いません?そうなんです。上記のことを、ちゃんとしたセンスで構築すれば誰もが納得の作品に仕上がっていたでしょう。しかし、今作において「頑張っている良い点」と「致命的に悪い点」は表裏一体。そしてその悪い点がせっかく頑張っている良い点を致命的に消し去っています。
致命的な欠点
何が悪いか。単刀直入に言うと・・・
監督自身に、センスがない!!ダサい!!詰めが甘い!!そして古臭い!!!
主に演出面です。
俳優の演技や映像の編集に携わる人にも、もちろん責任はあるかもしれませんが、それよりも、演技にしろ編集にしろ、そうするように指示し、OKを出した監督のセンスが陳腐すぎます。
「え?!これでいいの??」「滅茶苦茶じゃない?」「ダサくない??」と思わなかったのか。
(作品に対してではなく、監督に対して)失望に値します。
挙げだしたらキリがありませんが代表的なものを。
・あれだけ邦画として規格外の世界観を作り上げたのにも関わらず、前後編見てみると勿体ないほどにスケールは小さい。人類存亡というよりは、一部隊内で出来事が起こって片付いてしまう感じです。特に後半は。
・出てくる子役があまりにも「THE子役」というウザい演技をする。いつも思いますが子役は子供なんだから、あえて子供っぽい演技をする必要はないのです。あんなウザい演技をするくらいなら、普通にセリフを読むだけのほうがまだ自然に見えます。
・ハンジ(石原さとみ)に「こんなの初めて~!」と言わす。それも前後編で何度も。中年の制作陣がそれを聞きたいがために言わせたように感じます。
・さも禁断の果実をかじるアダムとイヴのようにシキシマに林檎をかじらせ、またその林檎をミカサにもかじらせる。今時こんなベッタベタなメタファー表現、素人の監督でもしません。
・巨人に支配された門前に行く直前、「この先には巨人がいる。巨人は物音に反応するから喋るな!喋りそうになるくらいなら自分の喉を掻っ切れ!」的なことを厳重に注意されていたのにも関わらず、門を抜けてシーンが変わるともうペチャクチャ喋りだしている。もうこの辺りから「あ、こういう映画なんだな」と諦めムードに。
・戦争未亡人のヒアナはただエレンとセックスしたいだけのようなビッチに。戦争未亡人という、描き方によっては化けそうな設定なのに、それをただのビッチにする神経がもう理解できません。
・巨人がいる地区の廃墟で野営を行い、夜を越さなければならないのに、気づいたら巨人が目の前にいるという突然登場パターン。見張り番つける発想はないんかよ。
・力持ち設定のサンナギ、巨人を一本背負い。しかも巨人がぶっ飛ぶほどの。あ・・そう。うん(笑)
・恋人のフクシを巨人に殺され、一瞬で任務放棄。人類存亡がかかっている超絶貴重な爆薬を積んだ車に乗り、たった一体の巨人を倒すために神風になるリル。もうキャラ描写のアホさというか観客をなめているとしか思えないウザさここに極まれり。
・後半に至っては、雄たけびを上げるか、名前を叫んでいる以外は、世界の説明。ただの教科書・説明書の音読です。
・APPLE製品がまんま出てくる。APPLE製品使っているのがスタイリッシュだと思っているのか??
・孤立気味だったミカサに、サシャが大事な大事なジャガイモをあげて打ち解いていく描写なのに結果的にやんわりさりげなくミカサはジャガイモを受け取っていない。もう何のためのシーンなの??仲良くなるの??それとも相容れないの!?
・巨人を背負い投げしたサンナギ、超非効率なやり方で殿(しんがり)を務め死亡。巨人を投げ飛ばす怪力があるなら岩を投げたりすればよかったのに・・こんな殺し方をした制作に腹立つレベル。
・壁の穴を埋めるために設置された爆薬を必死に取り除こうともがく超大型巨人。いや・・・・あんた、蹴りの一発で壁に穴開けたんやから、そんな爆弾どうでもええですやん。穴塞がれても、また蹴りで開けたらいいですやん・・・。
・KREVAと草薙剛の無駄遣い、そしてエンドロール後のちょい足し映像。最早説明不要の蛇足。
・・・・と、本当に挙げだせばキリがないですし、まだまだありますが、もうどれもが絶妙に一番やってはいけない演出の仕方でドシドシドシドシ積み上げられていきます。
また前述で巨人と立体起動に関しては前述で「正当進化」「差別化できている」と言いましたが、それは「技術」のことで、見せ方は古臭い時代錯誤もいいとこです。
劇中の立体起動装置は単純にアンカーを打ってそれを巻き取って飛ぶ。引き絵でカットも無しに巨人の合間をシューシュー飛ぶ。7,80年代の特撮を見ているようでメリハリが全くありません。立体起動シーンが全体的にノッペリ、モッサリした印象なのはここに原因があると思います。
もっと、軋むワイヤー、吹き出るガス、光る刃、移動する際の体重移動、食いしばる表情など細かい描写を挟めばもっとメリハリがついて迫力が出たのではないでしょうか。
そしてエレンや鎧の巨人などの巨人描写に至っては最早ウルトラマン。
これに関しては、原作者の諌山創がラジオで「進撃の巨人はもともとウルトラマンに格闘術をやらせたかったから出来た漫画でもある」ということを語っているので後半でのラスト30分はそれが叶ったものになっています。
だからウルトラマンっぽいと思った人は間違いではないし、進撃の巨人という作品自体が意図したところではあります。
・・・・しかしウルトラマンはウルトラマンでも、あんな見せ方をされて喜んでいるのは5、60代の特撮全盛期を少年少女の時に過ごした人だけ。今回実写版進撃の巨人で使われている特撮を基盤としたVFXはホビットなど、海外の超大作でも使われ出している最先端の特殊効果であるにも関わらず、それが古臭く感じてしまったのは監督の撮り方・見せ方が、その過去の特撮全盛期の頃から何も進化していないからだと思います。見ていて新鮮味のある画じゃないことこの上ない。
っとまぁグダグダ書いてきましたが、要は総責任者でもある監督が全部悪いと言えるほど、ちりも積もれば何とやらを見過ごしてきた(又は気付いていない?)結果がこれです。悪い所が出るたびにハッと現実に引き戻され、没入感が失われる。そしてそれが数分おきに訪れるもんだから堪ったもんじゃない。今思うと劇中初盤で出てくる「進撃の巨人」のロゴが、ゴジラっぽい音楽、ゴジラっぽい字面で出てきた時点で、この人のセンスを見極めるべきでした・・・。
総評
映画製作産業が小さい日本で、風穴を開けようと、技術者や演者が創意工夫して、諸問題を解決してきたのに、それをまとめる上がポンコツだったということに尽きます。
鑑賞した上での印象は「やりたいことはわかる!言いたいこともわかる!でもやりかた、言い方がてんでダメ!」という感じ。そしてそれは技術や演技ではなく監督のセンスの問題です。はぁ~残念。
しかしこれで「邦画はやっぱり駄目だ」と言うのはまだ早いです。意義ある挑戦だったと思いますし、確実に風穴が開いた部分もあります。見る価値のない駄作ってことでもありません。結果的に実りのある失敗作という所。樋口監督作品はこれ以上微塵も見たいとは思いませんが、この実写版進撃の巨人はこれからの邦画のブロックバスターものがまた盛り返してくるかもしれないこと感じさせてくれる一作になっていることは間違いないです。
特に前半は邦画としては画期的なほど巨人が暴れまくる熱量が高い作品になっているのでちょっと見てみようかなと思う人は見てみると良いと思います。
はぁ~・・・それにしてもハリウッド版ゴジラに触発されてまた日本でもリスタートする日本版ゴジラ。庵野秀明が総監督とはいえ、実際に映画を撮るのが樋口真嗣やから心配でしょうがない。。。
p.s.1ミカサ役の水原希子の存在感もさることながら、ハンジ役の石原さとみの演技がぶっとんでると話題ですが、劇中であのぶっとび方してても意外と自然に見れるのは石原さとみの演技力の高さがあるからだと思います。ウォーターボーイズの頃から成長したもんだ!
p.s.2発表されたとき「終わった・・・」と思った主題歌にSEKAI NO OWARIキャスティング。意外と作品に合ってて良かったです(笑)SEKAI NO OWARIが進撃の巨人の世界観を潰すことはありませんのでご安心を。